Blazing Sails見てて面白い

後悔。

後悔しても意味がない。

後悔したって時間は戻って来ない。

後悔するからこそ成長出来る。

後悔。

 

と、まぁ変な始まり方をしましたが、後悔についてノープランで書いてみようかなと思うわけです(変な時間に起きた)

 

読書が苦手なんです。

幼少期の頃から

本は財産

本を読みなさい

これだけ家に本があるのに、、、

 

大事にしてきた本をあまりに手に取らない自分に対して悲しい表情をする母親を何度か見てきた。

 

自分で読むだけではなく読み聞かせも苦手だった。母親が夜に読み聞かせをしてくれている時は意地を張って寝たフリをする。寝ていなくても頭の中で別の事を考える。次の日になると、前日に聞いた話がなんだったか全然覚えてないな〜〜とわざとらしく母親に伝える。母親の気持ちになると涙が出てくる。直接伝えられないし、このブログにも辿り着くわけないけどごめんねと言いたい。

出版社で働いていた事もあった母は文字に触れる事の大切さをいつも何度でも僕に説いてくれた。僕はそれを突っぱね続けた。

あまりにも変わらない僕に対して、将来後悔するよと母は教えてくれる。将来後悔するんだろうな思いつつも僕は変われない。この繰り返しだった。

もう成人を迎え21歳にもなったが、やはり語彙力の欠如を実感することは多い。

最近ではなく高校生の頃から感じ始めている。言葉が出てこない。書いている形がいつも同じ。レポートだろうがなんだろうが文章に面白味が全くない。稚拙な文章が連なるブログ。mたんと会話している途中に出るボロ。特に感じるのは長い文章に対峙した時の自身の反応。

とにかく長い文章が読めない、、、

職業柄、事例や研究についての文献を多く調べ読まねばならない。しかしそれを調べ集中して読む事がさっぱり出来ない。連続して読む事が出来るのは半ページがやっと、、、というぐらいのはっきり言って異常な状態が続いている。目をどうしても離してしまうのだ。

これは読書についての反応だけではなく、誘惑に対する自身の反応にも大きな要因があると思われるがそこを含めると全く話が終わらないので割愛(既にこの話も迷走している)

ゲームの説明でさえ途中で目を覆いたくなってしまう。反射的に文章から目を離したくなる。本当に文章アレルギーなんじゃないかと思ってしまう。読書を多少なりともしていればこの状態も少し軽減されていたのであろうか。

 

こんなことなら小さい時から素直に母親の言う事を聞いておいてしっかり読書しておけば良かった、、、あの時の俺は一体何やってんだよ、、、

 

 

 

後悔して場合過去の自分に対して思うことはこんな感じだろうか。

 

 

しかし実際は

「まぁその時やりたくなかったんならしょうがないよね〜〜」

 

この考えが大元にあると言う事を高校生のあたりから自覚し始めた。

今の自分に対しての劣等感はとんでもないほど大きい。これは現在だけでなく、その当時その当時で劣等感を持っている。しかしながら過去の自分にはとてつもなく甘いのである。だって過去は変えられないんだもん。

 

でも、この根本の考え方を捨てないと何も改善出来ないのかなと最近考えている。

次からはこうしよう!!と考えてから実践出来たことが大学生にいくつあったか。思い出そうとしても出来なかった事が多すぎて悲しくなってくる。高校生の頃から提出物は提出日当日ギリギリに出す。提出期限も全然守れない。自律が全く出来ない人間に未来を預けてくれる人はそういないだろう。このままだと引きこもりにでもなるんじゃないか。そこまで人間としての芯が腐りきっていると感じている。 

 

まず後悔出来る人間になってみようかな、、、とか考えてみる夜中です。

 

 

推敲する元気がないので間違いあったらこっそり教えてください()

 

 

 

 

ドロン